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ささもとさんに回答する前に

まずはささもとさん、直前のエントリにて私がayetownさんへトラックバックした文章をご一読ください。

この内容を私が書くことにより、ささもとさんの目的の全部とは言わずとも何割かは達成できたのではないかと存じますがいかがですか。

話の順序としてこういうことは言いましたよ、ということをお知らせした上で本題に入ります。


ささもとさんから再度意見を頂いてからもうだいぶ立つのでこちらから返さなければいけないところなのですが…この間なーんにも考えていなかったわけではなく。

「ささもとさんの意見や質問に逐一対応すること」は「ささもとさんの主観にとって誠意ある行為なのかどうか?」という生々しいところで筆を進めるのをためらっております。

わりとタイムリーなところでUジローさんのモヒカン族は日本語から生まれた?およびモヒカンに学ぶネットコミュニケーションの知恵あたりの話と関係があるかと。

前者に対して言及したotsuneさんの198 「モヒカン族」に関する言及で書かれた内容が面白くてと言っちゃなんですが、ささもとさんの反応に妙に納得がいくんですよ。

(まぁ高木浩光さんが書いたセキュリティホールに関する質問書がそれに近いと思うのですが。論理的な質問文はムラ社会からすると「恫喝している」「糾弾している」としか解釈できないみたいです)

これならば、私がささもとさんの文章に対して

教わる側からすれば、「メジャーなものだけでいいよ」と思うのは否定できない。
これこそが、教える側の都合だけによる論理ではないかと私は考えております。

書いたとき

この表現、決してポジティブな表現にはなりませんが、「いたし方ない」という使い方で抑えない場合、単なる責め言葉でしかなくなります。

…というコメントが返ってきた(『私は』考えております、とすでに抑えているにもかかわらず)ことや、再回答した際に

子供がいない人なら仕方ないか、とも思えますが、学校に通っているお子さんが居るとすれば、親として相当問題ありですね。
まぁ最近そういう人も増えましたから珍しくありませんけどね。

というずいぶん危険なコメントをされる気持ちというのもムラ社会的な反応故かと考えれば割とすっきりします。

ささもとさんの目的が

繰り返しますが、まぁ簡単な話、日本語入力のことしか知らないんだったら、学校教育に口を挟まんでください、ってこと。
口を挟みたいなら、ネット上の情報だけではなく、ご自身で現場を実感してからにして欲しい、と。

ということを諭すところにあり、そこに至るまでの論理展開はいわばささもとさんにとって「たいした問題ではない」ということになると、「子供の選択を求める人=アンチローマ字派」という前提のまずさを指摘するのも「日本語入力とOSでは選択機会を与える意味が異なる」ことを指摘するのも不毛なことになってしまいます。現に

「教育現場でローマ字入力だけを教えられることを問題視」している、つまり選択肢の無さを問題視している人がいるので、その人に同じ観点の質問を返しているだけです
(強調引用者)

という種の牽制を私へのコメント以外でもあちこちでなさっていますし。


そこで冒頭の話に戻るんですが、ささもとさん。

とりあえずayetownさんには前回のエントリにてお詫びの言葉を入れました。また、ささもとさんとの議論の中ではどうしても論理的に『教育委員会に接触する必要がなくなってしまう』のですが、それはそれとして、将来的に現場や教育委員会に足を運ぶことも視野に入れた活動を目指すことをお約束しましょう。

ただ、仮に私がささもとさんの思うとおりに改心したとしても、現状では私が他の方を説得できないという問題が残るんですわ。ささもとさんの論の穴が空いたままだから。

その穴を埋め、ささもとさんの目的をきっちり果たすために、「子供の選択を求める人=アンチローマ字派」という前提のまずさについてと「日本語入力とOSでは選択機会を与える意味が異なる」ことの検証について意見を述べ続けること、また、それ以外でもささもとさんの意見の内、直接には上記引用部目的とは異なる内容の部分についても話を続けることをお許し頂けますか。

そうでないと、ささもとさんにトラックバックを送って意見交換を試みる価値がとても貧しいものになってしまいますから。先生方の負担を減らした上で教育効果も上げたい、という理想はささもとさんと共有できると信じたいのです。

comment

Secret

とりあえず一つだけお願い。
人の文章にコメントをつけるのに、ぶつ切り引用をする癖だけは改めた方がいいと思います。
部分部分だけを取り出してコメントをつけようとして苦労されたようですが、ぶつ切り引用の癖が抜けないと、文章の捕らえ方(考察の仕方)そのものを誤ってしまうのです。
それを改めれば、文章表現もおのずと「仲間内だけ通じる文章」というのもなくなっていきます。
それができるとできないとでは、議論の進み方が違ってきます。
できれば、再開はそれができるようになってからが望ましいですね。
お待ちしております。

お二人の英断に感謝します。

それでは停止を宣言いたします。

ささもとさん:
> どうしても議論をやめたいのでしたらお引止めしません。

ご配慮ありがとうございます。ただ、お願いしたのは恒久的な中止ではなく停止ですので、いつか私に説得力のある文章を書く能力や条件ができたならば、この議論はきちんと詰めてゆきたいと考えております。

それまでの時間が長くなれば、周辺状況やお互いの意見に変化がでることもありましょう。また、ささもとさんがその時にお忙しければ、同様の意見をお持ちの他の方との議論として継続することになるかもしれません。そこのところは適宜判断したいと思います。

それでは、これをもちまして――互いに言い残したことも少なくないでしょうが――今回の議論を一時停止とさせていただきます。

追加のコメントを否定するわけではありませんが、不適切と思われる場合のほか、話が肥大化する方向の内容であるようなときも場合によっては削除いたしますのでご了承下さい。

まずはかえでさんのコメントへ。

> 私としては、ローマ字入力が算盤と同じ運命を辿りはしないかということが唯一心配なのですが

とおっしゃっています。
OSについても全く同じですよね。
学校で習ったWindowsがそろばんと同じ運命をたどるのはおそらく明白です。
ローマ字にしても、あるいはそうなのかも知れません。
つまり、「子供の選択肢」という議論は、ローマ字などという些細なことに限った話ではないのです。
それに気がついていただければ、いとも簡単にこの議論は終わるのです。

選択肢の提示をしたところで、教える基本は1つでないと効率が悪いのは同じです。
本当に個性を認め選択肢を重視するならば、生徒を学校になんて集めずに、通信教育のみでやればいいのです。
そこまで来ると、そもそも「学校に行かなければならない」という選択肢しかない、という現状までもが問題になりかねません。
だからこそ、選択肢の問題をローマ字のみに限定するのはおかしい、と言っているのです。

将来の話をしようとしても、現状を一切見ないまま話をしたって、「言葉遊び」として「釣れる」人はいても、現実問題として考えた時には、誰も乗ってきません。

あと、カナ入力よりローマ字、ローマ字よりかなめくり、とおっしゃっている部分の方が、私は比較として不適切だと感じます。
なぜなら、パソコンでその「かなめくり」とやらは普及していないからです。
それに携帯電話はパソコンなんかより日常生活に直結している人がほとんどなので、比較する方がおかしいと感じます。
それを比較するぐらいなら、50音順・ABC順キーボードを提案する方がいいのではないでしょうか?

正直なところ、日本語入力の研究をしている人はたくさんおられるのでしょうけど、現実にはほとんど表面化していないので、どこかで何らかの形で大々的に製品化されない限り、ブームどころか認知すらされていないのが現実です。
そこが私の言っていた「抱き合わせでないと普及しない」と述べていた部分です。
http://orbit.cocolog-nifty.com/supportdiary/2005/07/post_dfb3.html


鈴見咲君高さんへ。

モヒカンの話なんてどうでもいいと考えます。この議論には関係ないからです。
個人的にはもう少しきちんと理解するように努力してもいいと考えてますが、いかんせん「とっつきの悪い言葉」で、他で使えそうになさそう(くどくど説明が必要になりそう)ですので、きちんと理解するのにあまり意義を感じないのが正直なところです。

どうも皆さん、結局「研究のための研究」「論文のための研究」でしかなく、普及の手段を考えていない、という感があります。
だからこそ「小学校で…」なんて話になるんでしょうけど、私は、その話の展開が短絡的で安直だ、と述べさせてもらったに過ぎません。

何度も書きますが、そういう研究をしている動きを否定しているわけではないのです。
要は「その研究が終わった先」をどう考えているのか、なのです。
そこまで考えている研究こそ、価値あるものだと考えます。

私程度の人間と「分かり合えないのであきらめます」ということでしたら、おそらくこの先、あれもこれもあきらめることになると思います。
私はまだ理解のあるほうだと思いますよ。
世の中、もっと頭の固い人はごまんといます。

どうしても議論をやめたいのでしたらお引止めしません。
私も商売がありますので、お金にならないことに時間をかけたくはないのですが、勉強のつもりでやっています。
だからこそ、仕事日誌のブログに書いたのです。
まぁでも、鈴見咲君高さんの人生にまで関わるつもりは無いので、あきらめたいならあきらめていただいていいと思います。
それを選ぶのは鈴見咲君高さん自身なのですから。

最後に基本的な話をしますが、「ささもとが誤解している」と感じられるのは、私の受け取り方以前に、あなたの文章にも問題があるのです。
だからこそ、最初にこちらへリンクもトラックバックもしなかったのです。
言っておきますが、先に明示的にトラックバックを送って私に絡んできたのは鈴見咲君高さん、あなたの方なのです。
途中放棄されるのなら、そこを踏まえた上で、それなりのけじめをつけていただきたいものです。

私は、鈴見咲君高さんのこのブログは「ローマ字入力ネガティブキャンペーンのためだけの、暇人のブログ」だとは思っていません。
でも、今よりもっと意義のあるものだと思わせて欲しいものです。

また、イメージの話で申し訳ありませんが、「本体は猫」とか「ペジアド」とか「パスワド」とか、「お茶目な表現」が散りばめられ過ぎているようでは、「この人はまじめな議論をするつもりがあるんだろうか?」というイメージが付きまとうと思いますがいかがですか?

ご不満は承知の上。

ささもとさん:
> 私の論理に穴があいたまま、と感じられているのがどうもよく
> わからず、こちらとしてもあまりすっきりしませんけどね。
>
> わからなくて後からグチグチ言われるのも嫌ですし、続けたい
> のでしたらおわかりいただけるまでお付き合いしてもいいんで
> すが。

申し訳ない。すっきりしないのはお互い様で、続けられるものなら続けたいのです。
けれど、これまでのささもとさんの反応を見る限り、私の文章力ではささもとさんに納得いただけるだけのことを書けないと感じています。

例えば、次のようにUジローさんには正しく理解してもらえたのですが、肝腎のささもとさんに誤解されています。

> ささもとさんが、オレってモヒカン?というような疑問文を書
> かれていますが、ささもとさんがモヒカンでないことは、「発
> 言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する」を掲げる
> モヒカン宣言からはあきらかだと思います。

…この種の誤解が他にも少なからずあって、しかもそれを指摘しようにも、私の文章力ではとても対処できそうにない。そこでここはかえでさんに従い議論の「停止」をお願いできないか、という次第です。

そういえば

 なぜに「論議を停止した方が良い」という提案をしたのか…という話を書き忘れていました(ささもとさんのコメントを見てようやく思い出しました)。

 鈴見咲さんが最近提案されていた「【学校で】入力方式を限定するべきではない」と言う話は、大元を辿れば「JISX4064素案へのコメント」が大元になっているように感じています…あちらは「【国が】入力方式を限定するのは時期尚早だ」ですよね。
 http://suzumizaki.at.infoseek.co.jp/himeodorikosou/20020225.html
 #あの文書を見なければ、たぶん私は飛鳥に手を出せなかったと思っています。それだけ私にとっての影響は大きかったもので。

 で、今の鈴見咲さんから見て、【学校で】という部分が果たして本当に「一番」重要なことなのだろうか…と疑問を持ったことが、そもそも「議論停止」との提案させていただいた理由のひとつです。


 今、学校では、ささもとさんや他の多くの先生方が仰るようにローマ字入力を推進しているようです。
 で、実際の学生さん(に限らず多くの方)はそんなことは気にもせずに「携帯電話でかなめくり入力を操っている」状況です。
 
 学校で教えられたことが将来「一切疑問視されずに普及する」か、「古くさくて役に立たないことと思われる」か…それは(かつて皆がそう思い育ってきたことと同じく)今学生をされている方のみが知ることのはずです。
 今学生ではない私たちには、それを予測することすら出来ません。

 また、学校で教えられている先生方がどのような授業方針を立てるかと言うことについては、実際に職員室で、先生方が決定すべきであろうという気がします。
 本件論議には「先生方からのご意見が一切ない」わけでして、ここで結論を出しても影響力はないのではないかな…と。

 似たような話ですと、【新しい創傷治療】を運営されている夏井睦さん(外科医師)という方は、自サイト内文書冒頭にて
----
医師が参加しない会合での講演はお断りさせていただいております(例:看護部だけの勉強会とか養護教諭の集まりなど)。医療現場を変えるためには,何より医師の意識を変えることが最も効果的だと考えているからです。
(from http://www.wound-treatment.jp/next/wound273.htm )
----
との表明をされています。
 これは翻せば「先生ではない人が何を言っても仕方がない。」という事なのかもしれません。


 私は鈴見咲さんの「【将来】に向けてのアプローチ」には賛成で、ささもとさんの「教育事情に関する【現状】把握」も正しいと感じています。
 言及すべき時間軸が【将来】【現状】という風にずれている事柄を、一つの時間軸にはめ込んで(見なして)言及し合うことは非常に危険(永遠に解決するはずがない)でして、その観点からも「議論停止」は必然かと感じています。


 私としては、ローマ字入力が算盤と同じ運命を辿りはしないかということが唯一心配なのですが(学校におけるローマ字入力の風景をshinoさんの紹介でいくつかのblogで拝見していますが、その風景は算盤練習と似た力業式でして、このままでは同じ運命(ジェネレーションギャップ化)を辿る気がしてなりません)、そういう事態を防ぐか・あるいは招いてしまうか…ということについては、今後の先生方や生徒さんが決めるべき事かと思います。


 …と、もう一つ思い出しました。
 学生さんに対して「他の入力方法を知ってもらうこと」については、本来的に「ネットでのサポートが必須となる」部分があると思います。
 そこから考えると、学校教育に関しては従来通り「基礎知識」に徹していただいて、選択肢の提示についてはほかのアプローチを採用する方が「よりコスト対効果比が高い」気がします。


 私は、配列界隈の方々が示してくださる「サプライズ」に惹かれ続けています。
 それは議論・ニュース・ソフトウェア・文書・アイディア・考え方など様々に渡っていると感じています。

 より多くの方に知っていただく事を重要とするならば、議論よりもそれ以外に注力する方が自然なのかもしれません。
 実際に、その「ムーブメント」は既に起き始めている気がします…最近の入力方式に関する提案の多さが、それを裏付けているように思います。
 むしろ、これを「単なるブーム」とならないようにすることの方が重要なのかもしれません。


 (実は「安定版の繭姫まだ~?」とか「新姫踊子草まだ~?」などと一言コメントに圧縮してみたかった所なのですが(汗)、それでは身も蓋もありませんから、結局はだらだらと書いてしまいました…脱線ばかりですみません)

私の論理に穴があいたまま、と感じられているのがどうもよくわからず、こちらとしてもあまりすっきりしませんけどね。

わからなくて後からグチグチ言われるのも嫌ですし、続けたいのでしたらおわかりいただけるまでお付き合いしてもいいんですが。

-----

「日本語入力とOSでは比べるのが不適切」との意見がいまだに出ますが、これもすっきりしません。
不適切でもなんでもありませんがね。

ある子供が、最初に触れたのがたとえば学校で教わったWindowsで、気が付いたら家にもWindowsパソコンがあった、となると、その子の認識は「パソコン=Windows」という図式が出来上がってしまいます。
(事実そういう人は、大人子供関係なく世の中にごまんといるでしょう)
何年か経って凝り固まって偏見となってしまうと、それ以外の物を使う人を「キモイ」「オタク」というバカみたいな感覚だって起こることもあります(というよりはそういわれても仕方のない人もいたりしますが)。
それがバカみたいだとわかるのは、「世の中にはいろんな種類のOSがある」ということを知っている人だけです。
それは学校で「世の中には他のOSだってあるんだよ、という紹介をしなかったからだ」ということになります。

こう考えれば、「ローマ字入力を教えるなら、他にも入力方法はあるよ、と教えなさい」という提案と、たいした違いなんて無いとおわかりかと。
(脳の使い方とかなんとか言うのは、また別の議論です)

ただ、正直なところ、小中学校の教育現場においては、たかが日本語入力程度のことでそんなに時間を割くぐらいなら、他にやることはいっぱいある、というのが現実です。
タッチタイプを叩き込んでいるんじゃないんですから、さらっと流して終わりです。
でも、日本語入力うんぬんは別として、5・6年生になっても「ローマ字が覚えられないから」と言うのは問題ですよね。「九九がわからん」って言ってるのと同レベルです。

こう考えれば、現状の無理解による、どれだけ意味のない議論か、ということがおわかりかと思いますが、いかがでしょう。

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私は他でコメントをつけている内容も、主張はきわめてシンプルで、ほぼ一貫しているつもりです。
ですが、皆さん変に「ぶつ切り」にしてひねくりまわして、勝手にわかりづらい方向へ持っていってくれているという感覚です。
それで「わからんわからん」って言われても困るんですが。

せめて「ぶつ切り」にしないようにしてもらうだけでも、相当違うと感じるんですけどね。
本気で「分かり合いたい」と思うのなら、そっちの議論の方が有意義かと思われます。

モヒカン論から言えば

リンクありがとうございました。リンクをいただいたので感想くらい書いてもバチは当たりませんよね?(笑)
確かに議論が成立していない印象は受けますね。ただ、それにもかかわらず、お二方の言いたいことは横で見ている人からは大体、あきらかになっていると思いますので、ここでやめられても全然、無問題説に私も観客表一票!です。

ところで、私の文章がもとでモヒカンについて誤解が生じると本当のモヒカンの方々に申し訳ないので一点、補足させてください。

ささもとさんが、オレってモヒカン?というような疑問文を書かれていますが、ささもとさんがモヒカンでないことは、「発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する」を掲げるモヒカン宣言からはあきらかだと思います。

モヒカンの話というのは、逆に言えば、ネットで「分かり合う」ためには、相手の背景・正体等を一切考えずに言説のみで議論を行うモヒカン的な姿勢を採用するか、まずは相手の言説(もちろん人格、社会的立場)を否定することは避けて積極的に理解して馴れ合いを形成することから始めるムラ社会的な姿勢を採用するか、そのどちらかを徹底するしかないんだよ、というネットコミュニケーションにおける経験則を表しているのではないか、というように思えます。

やはり止めるべきでしょうか…

> 本件については「議論を停止」するのが適切ではないかと
> 思いますが、いかがでしょうか。

常識的に考えてそうなのだと思います。

もう少し頑張って、ささもとさんのようなタイプの方と分かり合う方法を模索したかったのですが、力及ばず。

結果、見苦しい様をさらすだけになって申し訳ないです。

第三者から議論の停止を勧められるまでになってしまったのでこれに従いたいと思いますが、ささもとさんはどうお考えなのでしょうか。これまでも毎回エントリ立ててたから改めて停止申し入れのエントリを作った方がいいかしら。

もし、ささもとさんがご覧になっていたら議論停止についてのコメント下さい。

 本件については「議論を停止」するのが適切ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
 こちらのコメント群と、親指シフトウオッチさんでの下記コメント群を拝見していて、ふとそう感じましたので。
 http://thumb-shift.txt-nifty.com/contents/2005/07/re_3_cb8f.html

…ということは私はモヒカンである、とおっしゃりたいわけなんでしょうか(笑)

少なくとも(意図的・無意識関係なく)論点がずれていたり、知らないことを憶測で偏見を持っている、といった「大前提が崩壊している」という状態では、どうしたって議論がかみ合わないのは当然のことでしょう。

「親として問題あり」の表現は、確かに不穏当な書き方ではありましたが、やはりそういう感覚でおられる方と話をしていると、どうしても分かり合えない部分というのは存在します。
それぐらい言われて、初めて気がつく人も少なくありませんので、「そこまで言われないと気が付かないのか!」という、それこそ「食う清め」…違った(笑)「空気嫁」という部分でしょう。
読めないで攻撃されてる人が、相手を「モヒカンだ」などと揶揄するのもどうかと思いますが。
それこそ人格という部分もあるでしょうが、自分が苦労して展開してきた話が、根底から間違っていたということがわかったとき、指摘したのがモヒカンであろうとなかろうと、どういった反応を示すものなのか、これは「話の規模とその人による」としか言いようがありません。
逆に、大前提を理解できて(空気を読めて)いないからこそ、人格を否定されるにいたることもある、とも言えますが。
それを「攻撃のみが目的」というそれこそモヒカンそのものという人と一緒くたに論じるのは危険ではないかと。

また、パソコン通信のころから存在する「返信において相手の文章のぶつ切りをする」という習慣は、議論の脱線を生じやすくしており、まさしく「木を見て森を見ず」的展開を容易にしています。
時には効果的ですが、それだけでしか議論をしていないような状態では、話は脱線し、主題を見失う一方なのです。
そりゃ「空気嫁」なんて言われても仕方ないと思われます。

その辺はとりあえずおいといて。

鈴見咲君高さんの文章って、どうも「言語明瞭、意味不明瞭」という感があります。
難しく言葉をひねくりすぎて、何が言いたいのかよくわからない。
特に

>ということを諭すところにあり、そこに至るまでの論理展開はいわばささもとさんにとって「たいした問題ではない」ということになると、「子供の選択を求める人=アンチローマ字派」という前提のまずさを指摘するのも「日本語入力とOSでは選択機会を与える意味が異なる」ことを指摘するのも不毛なことになってしまいます。

この部分は重要な部分なんでしょうけど、意味がさっぱりわかりません。
とりあえずキーワードだけでも適宜拾い出して考えるに、
「子供の選択を求める人=アンチローマ字派」
これがイコールでつながるというのがよくわからない。
子供の選択肢を求める人みんながアンチローマ字派???
私は別物だと考えています。
ただ、少なくとも、アンチローマ字の人が、「子供の選択肢を奪う」というような妙ちきりんな穴だらけの理屈を展開してローマ字そのものを否定することがあるのは事実です。

それがいかに穴だらけか、ということをわかってもらうために、「じゃ教育現場がWindows一辺倒なのも問題ではありませんか?」と見落としている(見ないことにしている)「問題提起」をしているだけです。
でも、まともな理屈が返ってきたためしがありません。
ゴチャゴチャとあれこれ理屈をこねて、反論をしなくてすむように逃げようとする人ばかりです。
これでは「アンチローマ字」も説得力ありませんよね(笑)

OS選定の問題に関しては、私もいろいろ思うところはありますが、それを問うのが私の目的ではなく、少なくとも穴だらけの理屈を振りかざして「子供の選択肢」を問うのであれば、ローマ字入力だけでゴチャゴチャと教育現場に口をはさむことはできませんよ、と言いたいだけ。

鈴見咲君高さんの言う「改心」がどのようなものであるのかがさっぱりわかりませんが、「他の方を説得できない」と最初からさじを投げたようなことをおっしゃるのは、私のせいでもなんでもなく、ご自身の論理に穴があることをすでにお分かりだから、としか言いようがありません。
なんでそれを人のせいにするのか、全く理解できません。

教育現場にいる人と、もっと話をしてほしいと思います。
ネット上ではなく、実際に顔を突き合わせて。
これだけ文章だけで意見を交し合うことのできる人というのは、実は世間の中ではごく一部であることを認識していただきたいと思います。
彼らはおそらく、鈴見咲君高さんが考えているより、よほど現実的に行動されています。
もどかしく感じる部分もあるでしょう。
理解できない部分もあるでしょう。
でも、彼らと同じ立場に立った時、鈴見咲君高さんが今考えているように行動できますか?という問いには、おそらく答えることはできないでしょう。

つまり、私の議論の展開を「穴だらけだ」と言う前に、あなたの主張が教育関係者に通用するかどうか、インターネットから離れて、実際に肌で感じてみてほしい、ということです。

QWERTY+ローマ字入力が至高の入力方法だなんて、少なくとも私は思っていません。
しかし、現行ではさまざまな事情があり、それが採択されることが多い、ということです。
しかし、得てして学校教育に矛先を向ける人に限って、学校教育を全く理解していない人である場合がほとんどです。

ですので、
「やたら子供の選択を求める人=アンチローマ字派」
この式は逆です。
「アンチローマ字派=やたら子供の選択を求める人」
ですね。
意味合いが違いますので。

あと、鈴見咲君高さんに限りませんが、「アンチローマ字入力」論の人にはどうも「日本語入力の教育=タッチタイプの教育=押し付け」という変なつながりがあるように思えてなりません。
こういう前提がある限り、おそらく分かり合えることはないでしょう。

少なくとも、小学校で生徒全員にタッチタイプを叩き込めるほど、教育現場はヒマじゃありません。それだけは確かです。


最後になりますが。
あなたには、小学校に通うお子さんはいますか?
そういうお子さんがいるのであれば、きちんとお子さんの話を聞いていますか?
たったこれだけのことでも、できていれば理解の度合いは変わってきます。

少なくとも、親なのに子供とこの程度の対話できていないのは、相当問題ですよ、ということは事実ですので変えようがありません。
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