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ささもとさんへ/当所内へのコメントに対する回答

拙文子供が自尊心を持てるかどうかのチャンスへのささもとさんのコメントから。簡単そうなとこからお答えします。

ここで質問。
パソコン教育を受けるのに、Windowsしか選択肢がないのはどうお考えなのでしょうか?

私も状況によっては軽視できない重い課題だと考えています。ところが、ささもとさんご自身

なぜあなたはWindowsを使っているんですか?
どうしてMacintoshやLinuxを使わないのですか?
Windowsを使っているのなら、慣れるのは簡単ですよ?

…とおっしゃっており、その考え方にに立つ限りでは、小学校の生徒が得るもの/失うものにさして大きな問題はないということになります。

学校に置かれているコンピュータのOSがWindowsであろうとなかろうと“慣れるのは簡単”である以上、特定のOS一つに利用を限ったところで害というほどのものはない、ということになるからです。

ささもとさんは、どのような理由で教育現場にWindowsばかりが置いてあることを問題視されているのか…今後同じ質問をされるならば、まずそれをはっきりさせておく必要がありましょう。ささもとさんは現時点では、子供の選択肢を理由とすることができないのは上記の通りです。

私が問題視する理由については、ささもとさんを含め、誰かがネタを振ってきたときでいいでしょう。話が広がりすぎると疲れてしまいますから…現時点で十分広がりすぎですけど。


次に簡単そうなのは…これでしょうか。

一例で言えば、パソコンの授業が先生一人でできると思っているであろう点。一人でやっていた場合、パソコンの授業は、たった一台のトラブルで全ての進行が停止してしまうのです。

パソコンの授業を先生一人でやらなければいけないのは教育機関側が設けた制約であって、私が課した制約ではありません。

つまり学校として「先生一人でやらなければならない」のが決して外せない条件であるならば「現状ではやらないほうがマシだからやめてしまえ」というのが私の意見であるということはできます。

しかしながら、この話題の起点になったもっと早くからローマ字を@校長・・学校のおやぢ及びその後の校長先生のお話を読む限りでは“すでに限界なんだから助けてくれ!”といった主張はまだされていないようです。

また、公の予算故に一度買ったものをやめましたとは言いにくいとか、指導要領には逆らえないとか、諸々の事情はあるかもしれませんが、こちらについても私が課している制約ではありません。

問題があるのは「私が要求していること」ではなく「教育機関側が設けた制約」です。この意味で、おっしゃるとおりに

もし本気で要望として出したいと思うのなら、地元の教育委員会に話を持って行ってみればいいと思います。

「コンピュータの日本語入力について」という名目で教育委員会に話を持って行ったとしても事の進展には繋がりそうもないのは、ささもとさんのほうが私よりもよく分かっていることではありませんか?

そして、学校に人材も時間もないことを論じようとするときに、コンピュータにおける日本語入力の改善を目指す人たちを相手にするのはやや見当違いではないかと思います。先生方の労働環境などを、意思を持って悪いままの状態に保持しようとしているのは私(たち)ではないからです。


ちょっと書くのが難しいのが残りの部分かしら。

問題なのはそうでない子の方。かな入力とローマ字入力という二択ではどうしようもなくて、二重どころか三重以上の負担になってしまう、そういう子が出ます。確実に出る。
どういう子のことを言っているのかがはっきりしていないので、論点がかなりぼやけてしまっています。

そりゃ厳しい。現に私的に独自の文字配列や入力法が数多く提案されておりまして、それらは「二択ではどうしようもない」と考えた人たちが――つまり、幼少時であろうとなかろうとその二択では苦痛だった人たちが確実に存在する証にはなりませんでしょうか。

そこで効いてくることの一つが、不適当な道具は改良すべきという教育がちゃんとできているかどうかです。人間が道具に使われるのではなく、道具を人間に合わせるべき、という知識が与えられているかどうか。道具を社会制度とかに読み替えても構いません。
「何をどう改良すべきなのか」というところが全く見えないので、論理が空転している印象を受けます。

その部分は、次のような展開の

  1. 一般論として、道具は必要なら改良すべきである。
  2. コンピュータも道具であることに変わりはない。
  3. 従って、コンピュータも必要に応じて改良すべきである。

最初である(1)に相当するのでありまして。(1)ではどちらかといえば抽象的に、(3)以降で具体的にどうしたいのかを述べる形をとっています。従って(1)の時点で「何をどう改良すべきなのか」という話はもともと来ていません。また、上記の箇条書き部分は、全体が、先生方にも生徒にも持ってもらいたい土台の考え方です。なので、コンピュータ教育においてはどうかという話はさらに後ろになっています。

しかしこの「改良すべき」という提議はかなり微妙で、
「気に入らないものは変えてしまえ」
「不都合な部分を的確に見つけて修正しよう」
という、方向性の違う2種類の解釈がされかねないのです。
前者は非常に自己中心的な方向に、後者は建設的な方向に解釈できます。

方向性が違うと言えば違うのですが、実態には差がないようにも感じます。的確に見つけて修正したはずが予期しない事態を招いた、なんてことは教育に限らずそう珍しいことではないと思います。他方、もとをただせば全くの自己中心的な発想から始まった作業が結果的に他の人にも喜ばれるようになった事例もあるでしょう。

気持ちの上ではいつでも後者でなくては困る、ということならおおむねその通りです。ただし、自宅で使うパソコンの日本語入力ということになると前者であっても差しあたり問題ありませんし、職場においても各自の日本語入力法を用いることができるようになっている…というのは一つの理想ではあります。


おつかれー。今日はおしまい。

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Re: 子供の選択肢。(@パソコントラブル出張修理・サポート日記)他3件

子どもにどのような日本語入力を教えるかについての議論です。http://orbi

comment

Secret

うーん…。
やはり実態を把握していないだけ、としか言いようがないですね。
子供がいない人なら仕方ないか、とも思えますが、学校に通っているお子さんが居るとすれば、親として相当問題ありですね。
まぁ最近そういう人も増えましたから珍しくありませんけどね。

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とりあえず「簡単そうなところ」から。
>ささもとさんは、どのような理由で教育現場にWindowsばかりが置いてあることを問題視されているのか…今後同じ質問をされるならば、まずそれをはっきりさせておく必要がありましょう。ささもとさんは現時点では、子供の選択肢を理由とすることができないのは上記の通りです。

「教育現場でローマ字入力だけを教えられることを問題視」している、つまり選択肢の無さを問題視している人がいるので、その人に同じ観点の質問を返しているだけです。
「他の入力方式も習得するのは簡単だ」とおっしゃるなら、ローマ字入力もWindowsパソコンも、選択肢のなさを問題視する必要などどこにもありませんし、あくまでも「ローマ字入力ばかり押し付けることが問題だ」と言い張るなら、「じゃWindowsパソコンばかり押し付けるのも問題ですよね」ということです。
要は、学校教育に絡めてローマ字入力「だけ」を問題視する理屈は、天に唾する理屈に過ぎない、と言いたいだけです。

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「次に簡単そうなの」について。
>パソコンの授業を先生一人でやらなければいけないのは教育機関側が設けた制約であって、私が課した制約ではありません。

あなた自身が制約にしていないとしても、クレームすら入れていない、いや、ご存じなければ文句の言いようもない、ではないのでしょうか。
「人員不足」は、意図的な制約(できることをやらない)の結果だとでも思っておいでなのでしょうか…。

>つまり学校として「先生一人でやらなければならない」のが決して外せない条件であるならば「現状ではやらないほうがマシだからやめてしまえ」というのが私の意見であるということはできます。

「やらなければならない」のではなく「やらざるを得ない」のです。
http://orbit.cocolog-nifty.com/supportdiary/2005/07/vs_7395.html
こちらの記事にも書いたのですが、結局は担任の先生が「教育者の視点」でパソコンの使い方指導ができる人がどれだけ居るのか、ということにかなりの重点が置かれることになるはずです。
現実的な解決方法としては、「パソコン専門の先生を各校に配置すること」なのでしょうが、それでは結局、先生方のディジタルデバイドはなくなりませんので、パソコンに対する偏見はなくならないままです。
理想は、今いる全ての先生が、インストラクター級ではなく、どんなエラーにも顔色1つ変えず的確に対処できる、最低でも初級シスアド級の実力を備えていること。
すぐには無理でしょうけど。
ただ、前述の通りで、たった1台のエラーが授業の進行を止めてしまうことはよくある話で、それのフォローをするSE級の人員は、確実に必要なのです。
しかし、残念ながら、ほとんどの学校にはそんな余裕などありません。
それを「制約」などと言うのは、勘違いをしているとしか言えません。
学校の現状が悪いままなのを知っていて、何も行動を起こさないのならまだしも、自分(たち)のせいではない、と言い切るのは考え物です。
他人事なら、何も論じる必要などなかろうに。
投票もしないで政権批判をしているのと同じです。
その上「やらない方がマシだからやめてしまえ」という極論までぶち上げるようでは、現実問題としては、賛同は得られないでしょう。

>そして、学校に人材も時間もないことを論じようとするときに、コンピュータにおける日本語入力の改善を目指す人たちを相手にするのはやや見当違いではないかと思います。

逆です。
すでに書いたことですが、私は「日本語入力の改善」を否定しているわけではないのです。
「日本語入力の改善」しか考えていない人が、学校に人材も時間もない事情を全く理解しないまま、自論の押し付けをしているのが問題だ、と言っているのです。
教育現場の現状を理解していれば、日本語入力の改善など枝葉の問題ですし、理解していないなら、まずは理解することから入るべきです。
いくらすばらしい方式を発明しても、(教育現場はもとより世の中のすう勢を含めた)現状を無視した推進は、絶対に受け入れられません。
それは日本語入力の改善を「仕事として」する人も、本来は考えてしかるべき問題です。
受け入れられる方向性を全く考えないで、漫然と「その先の展開の無い仕事」をしているようでは、目先の給料がもらえれば良いという単なるアルバイトと同じです。

-----

「残りの部分」について。
>そりゃ厳しい。現に私的に独自の文字配列や入力法が数多く提案されておりまして、それらは「二択ではどうしようもない」と考えた人たちが――つまり、幼少時であろうとなかろうとその二択では苦痛だった人たちが確実に存在する証にはなりませんでしょうか。

存在しないということを否定する推測材料にはできても、全てがそうだという証にはなりません。
言い方は悪いですが、趣味でやってる人や、「研究のための研究」をやってる人だっているでしょう。
言いかえてみれば、「それでも不自由は無いけど、理論的にはもっとよくなるよ」「こうやればもっと楽になるのに」という観点のものであれば、二択では「どうしようもない」ではないはずですから。
どうも「1か0か」という極論が多いですね。

「二択ではどうしようもない」というのはどういう人(生徒)の事か、どの程度の割合で居るものなのか、具体的に教えていただきたいものです。

ちなみに、「何をどう改良すべきかが不明」とお聞きし返したのは、「二択ではどうしようもない人」というのが具体的ではないからです。その辺、お間違えの無きように。

>的確に見つけて修正したはずが予期しない事態を招いた、なんてことは教育に限らずそう珍しいことではないと思います。他方、もとをただせば全くの自己中心的な発想から始まった作業が結果的に他の人にも喜ばれるようになった事例もあるでしょう。

では「改良すべき」なんて提唱はできないのではないかと。
現実には珍しくないにせよ、予期しない事態、自分勝手な行動を肯定されちゃ困るんですよね。
万引きするヤツが居なくならないにせよ「万引きするヤツもいるもんなんだからわかってやれよ」なんて子供に教えることをよしとはしないでしょうし、「教科書が全部マンガにならないと嫌だから学校の授業なんて受けねぇよ」というわがままを許すこともよしとはしないでしょう。

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繰り返しますが、まぁ簡単な話、日本語入力のことしか知らないんだったら、学校教育に口を挟まんでください、ってこと。
口を挟みたいなら、ネット上の情報だけではなく、ご自身で現場を実感してからにして欲しい、と。
子供の選択肢の話は、日本語入力なんて些細な話だけで語れるほど表面的な話じゃないんですよ。

それでも論じる、というのは勝手ですが、少なくとも説得力ゼロですから、現実的には賛同は得られないと思いますよ。
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