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笹本様へ/Re:子供の選択肢。

笹本さん、はじめまして。最近のそちらのエントリで気になることがありましたものでトラックバックをいたしました。

Re: もっと早くからローマ字を(@校長・・学校のおやぢ)他3件 :親指シフトウォッチ
親指シフトウォッチさんから・・・ :水城珠洲の日記(2nd)
もっと早くからローマ字を :校長・・学校のおやぢ

上記三箇所のうち、一つ目と三つ目で共通して目に付くはずの私の存在は認識されていない、ということでOKでしょうか?

一回ずつしかでてこないのでわかりにくいのは確かですが、三つ目のところで子供に選択肢を与える機会を云々、と一番長々と書いたのが私なもので、議論の対象とすべき第一の相手をすっ飛ばしている印象を持ちました。

と申しますのは、そちらのエントリで記述されている次の二点は私には該当しないことだからでして。

  • ローマ字入力というものを完全に敵視しているカナ入力の人
  • ローマ字教育がどうだ、ローマ字だと脳の使い方がどうだ、と、論点が完全に脱線転覆状態

そういうわけで、冒頭の疑問に対する回答をどうか一つ。

その他にも Linux がどうとか ATOK がどうとか多くを書かれているのですが、皮肉っぽい記述が続いているため笹本さん自身はどうであって欲しいのかがよくわかりません。このためにコメントを作るのに苦慮しています。

今のところひとつ、確実にこちらがコメントできそうなのは…

教わる側からすれば、「メジャーなものだけでいいよ」と思うのは否定できない。

これこそが、教える側の都合だけによる論理ではないかと私は考えております。

more...

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ささもとさんへ/当所内へのコメントに対する回答

拙文子供が自尊心を持てるかどうかのチャンスへのささもとさんのコメントから。簡単そうなとこからお答えします。

ここで質問。
パソコン教育を受けるのに、Windowsしか選択肢がないのはどうお考えなのでしょうか?

私も状況によっては軽視できない重い課題だと考えています。ところが、ささもとさんご自身

なぜあなたはWindowsを使っているんですか?
どうしてMacintoshやLinuxを使わないのですか?
Windowsを使っているのなら、慣れるのは簡単ですよ?

…とおっしゃっており、その考え方にに立つ限りでは、小学校の生徒が得るもの/失うものにさして大きな問題はないということになります。

学校に置かれているコンピュータのOSがWindowsであろうとなかろうと“慣れるのは簡単”である以上、特定のOS一つに利用を限ったところで害というほどのものはない、ということになるからです。

ささもとさんは、どのような理由で教育現場にWindowsばかりが置いてあることを問題視されているのか…今後同じ質問をされるならば、まずそれをはっきりさせておく必要がありましょう。ささもとさんは現時点では、子供の選択肢を理由とすることができないのは上記の通りです。

私が問題視する理由については、ささもとさんを含め、誰かがネタを振ってきたときでいいでしょう。話が広がりすぎると疲れてしまいますから…現時点で十分広がりすぎですけど。


次に簡単そうなのは…これでしょうか。

一例で言えば、パソコンの授業が先生一人でできると思っているであろう点。一人でやっていた場合、パソコンの授業は、たった一台のトラブルで全ての進行が停止してしまうのです。

パソコンの授業を先生一人でやらなければいけないのは教育機関側が設けた制約であって、私が課した制約ではありません。

つまり学校として「先生一人でやらなければならない」のが決して外せない条件であるならば「現状ではやらないほうがマシだからやめてしまえ」というのが私の意見であるということはできます。

しかしながら、この話題の起点になったもっと早くからローマ字を@校長・・学校のおやぢ及びその後の校長先生のお話を読む限りでは“すでに限界なんだから助けてくれ!”といった主張はまだされていないようです。

また、公の予算故に一度買ったものをやめましたとは言いにくいとか、指導要領には逆らえないとか、諸々の事情はあるかもしれませんが、こちらについても私が課している制約ではありません。

問題があるのは「私が要求していること」ではなく「教育機関側が設けた制約」です。この意味で、おっしゃるとおりに

もし本気で要望として出したいと思うのなら、地元の教育委員会に話を持って行ってみればいいと思います。

「コンピュータの日本語入力について」という名目で教育委員会に話を持って行ったとしても事の進展には繋がりそうもないのは、ささもとさんのほうが私よりもよく分かっていることではありませんか?

そして、学校に人材も時間もないことを論じようとするときに、コンピュータにおける日本語入力の改善を目指す人たちを相手にするのはやや見当違いではないかと思います。先生方の労働環境などを、意思を持って悪いままの状態に保持しようとしているのは私(たち)ではないからです。


ちょっと書くのが難しいのが残りの部分かしら。

問題なのはそうでない子の方。かな入力とローマ字入力という二択ではどうしようもなくて、二重どころか三重以上の負担になってしまう、そういう子が出ます。確実に出る。
どういう子のことを言っているのかがはっきりしていないので、論点がかなりぼやけてしまっています。

そりゃ厳しい。現に私的に独自の文字配列や入力法が数多く提案されておりまして、それらは「二択ではどうしようもない」と考えた人たちが――つまり、幼少時であろうとなかろうとその二択では苦痛だった人たちが確実に存在する証にはなりませんでしょうか。

そこで効いてくることの一つが、不適当な道具は改良すべきという教育がちゃんとできているかどうかです。人間が道具に使われるのではなく、道具を人間に合わせるべき、という知識が与えられているかどうか。道具を社会制度とかに読み替えても構いません。
「何をどう改良すべきなのか」というところが全く見えないので、論理が空転している印象を受けます。

その部分は、次のような展開の

  1. 一般論として、道具は必要なら改良すべきである。
  2. コンピュータも道具であることに変わりはない。
  3. 従って、コンピュータも必要に応じて改良すべきである。

最初である(1)に相当するのでありまして。(1)ではどちらかといえば抽象的に、(3)以降で具体的にどうしたいのかを述べる形をとっています。従って(1)の時点で「何をどう改良すべきなのか」という話はもともと来ていません。また、上記の箇条書き部分は、全体が、先生方にも生徒にも持ってもらいたい土台の考え方です。なので、コンピュータ教育においてはどうかという話はさらに後ろになっています。

しかしこの「改良すべき」という提議はかなり微妙で、
「気に入らないものは変えてしまえ」
「不都合な部分を的確に見つけて修正しよう」
という、方向性の違う2種類の解釈がされかねないのです。
前者は非常に自己中心的な方向に、後者は建設的な方向に解釈できます。

方向性が違うと言えば違うのですが、実態には差がないようにも感じます。的確に見つけて修正したはずが予期しない事態を招いた、なんてことは教育に限らずそう珍しいことではないと思います。他方、もとをただせば全くの自己中心的な発想から始まった作業が結果的に他の人にも喜ばれるようになった事例もあるでしょう。

気持ちの上ではいつでも後者でなくては困る、ということならおおむねその通りです。ただし、自宅で使うパソコンの日本語入力ということになると前者であっても差しあたり問題ありませんし、職場においても各自の日本語入力法を用いることができるようになっている…というのは一つの理想ではあります。


おつかれー。今日はおしまい。

ayetown様へ/私の意見の至らなかった点について

少し時間がたった後で恐縮ですがayetownさんへ。先のローマ字入力とパソコンの日本語入力に関するお話についてです。

話の大元であるayetownさんのもっと早くからローマ字をでは

 教科書にないから低学年はカナキーを使う。ローマ字を習ったらローマ字キーに変える。これは二重の負担ではないか? 始めからローマ字にすればいい。

という話題提起をされました。これに対して私が述べた意見は、小学校のローマ字教育という需要に対してあまりにも無関心すぎました。

少なくとも私は、パソコンの日本語入力教育を延々と語るのと対を成す形で、小学校のローマ字教育について、パソコンの日本語入力制限以外の別手段を提示する必要があったでしょう。

これまで展開してきた私の意見そのものに変化が生じるわけではありませんが、上記の通り思慮に至らぬ点があったことをお詫びいたします。

“日本語入力制限以外の別手段”で小学校のローマ字教育の効率化をする手だてについては、残念ながら妙案が浮かびません。もちろん、さきほど「私の意見そのものに変化はない」と申し上げたとおり、効率化のためとはいえ子供の自尊心を阻害しかねない方法(=学校でのパソコン入力をローマ字に限定する方法)は取って欲しくないという気持ちは変わりません。

どうしてもパソコンにおけるローマ字入力縛りが一番効率的なのだと言うことでしたら、せめて、ローマ字を十分に理解した生徒には(これは希望者にテストの形で行うことでも構わないでしょう)パソコンでの文字入力法に関する制限を解除する、といったことは行ってほしいと考えています。

ささもとさんに回答する前に

まずはささもとさん、直前のエントリにて私がayetownさんへトラックバックした文章をご一読ください。

この内容を私が書くことにより、ささもとさんの目的の全部とは言わずとも何割かは達成できたのではないかと存じますがいかがですか。

話の順序としてこういうことは言いましたよ、ということをお知らせした上で本題に入ります。


ささもとさんから再度意見を頂いてからもうだいぶ立つのでこちらから返さなければいけないところなのですが…この間なーんにも考えていなかったわけではなく。

「ささもとさんの意見や質問に逐一対応すること」は「ささもとさんの主観にとって誠意ある行為なのかどうか?」という生々しいところで筆を進めるのをためらっております。

わりとタイムリーなところでUジローさんのモヒカン族は日本語から生まれた?およびモヒカンに学ぶネットコミュニケーションの知恵あたりの話と関係があるかと。

前者に対して言及したotsuneさんの198 「モヒカン族」に関する言及で書かれた内容が面白くてと言っちゃなんですが、ささもとさんの反応に妙に納得がいくんですよ。

(まぁ高木浩光さんが書いたセキュリティホールに関する質問書がそれに近いと思うのですが。論理的な質問文はムラ社会からすると「恫喝している」「糾弾している」としか解釈できないみたいです)

これならば、私がささもとさんの文章に対して

教わる側からすれば、「メジャーなものだけでいいよ」と思うのは否定できない。
これこそが、教える側の都合だけによる論理ではないかと私は考えております。

書いたとき

この表現、決してポジティブな表現にはなりませんが、「いたし方ない」という使い方で抑えない場合、単なる責め言葉でしかなくなります。

…というコメントが返ってきた(『私は』考えております、とすでに抑えているにもかかわらず)ことや、再回答した際に

子供がいない人なら仕方ないか、とも思えますが、学校に通っているお子さんが居るとすれば、親として相当問題ありですね。
まぁ最近そういう人も増えましたから珍しくありませんけどね。

というずいぶん危険なコメントをされる気持ちというのもムラ社会的な反応故かと考えれば割とすっきりします。

ささもとさんの目的が

繰り返しますが、まぁ簡単な話、日本語入力のことしか知らないんだったら、学校教育に口を挟まんでください、ってこと。
口を挟みたいなら、ネット上の情報だけではなく、ご自身で現場を実感してからにして欲しい、と。

ということを諭すところにあり、そこに至るまでの論理展開はいわばささもとさんにとって「たいした問題ではない」ということになると、「子供の選択を求める人=アンチローマ字派」という前提のまずさを指摘するのも「日本語入力とOSでは選択機会を与える意味が異なる」ことを指摘するのも不毛なことになってしまいます。現に

「教育現場でローマ字入力だけを教えられることを問題視」している、つまり選択肢の無さを問題視している人がいるので、その人に同じ観点の質問を返しているだけです
(強調引用者)

という種の牽制を私へのコメント以外でもあちこちでなさっていますし。


そこで冒頭の話に戻るんですが、ささもとさん。

とりあえずayetownさんには前回のエントリにてお詫びの言葉を入れました。また、ささもとさんとの議論の中ではどうしても論理的に『教育委員会に接触する必要がなくなってしまう』のですが、それはそれとして、将来的に現場や教育委員会に足を運ぶことも視野に入れた活動を目指すことをお約束しましょう。

ただ、仮に私がささもとさんの思うとおりに改心したとしても、現状では私が他の方を説得できないという問題が残るんですわ。ささもとさんの論の穴が空いたままだから。

その穴を埋め、ささもとさんの目的をきっちり果たすために、「子供の選択を求める人=アンチローマ字派」という前提のまずさについてと「日本語入力とOSでは選択機会を与える意味が異なる」ことの検証について意見を述べ続けること、また、それ以外でもささもとさんの意見の内、直接には上記引用部目的とは異なる内容の部分についても話を続けることをお許し頂けますか。

そうでないと、ささもとさんにトラックバックを送って意見交換を試みる価値がとても貧しいものになってしまいますから。先生方の負担を減らした上で教育効果も上げたい、という理想はささもとさんと共有できると信じたいのです。

や、やられた…

はじめに。議論自体は「停止」したので、今から書く話はあくまで後日談ということでよろしく。

今回のせっかくのご縁なので、ささもとさんとこのRSSを拾っておくことにしました。で、Thunderbirdが拾ってきたのがこれ

ふつうにおちゃめなささもとさん。わたしはすてきだとおもいます。いじょ。

鈴木孝夫氏の本三冊読了

このあいだjisx6004さんにおたずねした本のうち、鈴木孝夫氏の著作三冊を図書館で発見し、最近読了。人によっては右寄り、というコメントは確かに「人によっては」だったので、私は鈴木さんを一概に右とか言いたくないなぁ。右寄りの主張にしても条件付きだし。

以下、Amazon.co.jpへのリンク。

印象に残ったのは「日本人はなぜ英語ができないか」。日本人にとって英語は難しいのですべての人に学ばせる必要はなく、全課程で必修からは外すべきとかいうあたり、姫踊子草の開発思想に共通点を感じるなんてのは我田引水しすぎですか。

大学の一年次には語学をとらせず、半年間の各言語ガイダンスみたいなものを履修させてから、多数の選択肢より成る必修一科目のみの語学教育…というのは本当に慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)でやっていたそうで、というか今でも発展系で行われている模様

どうも一読した雰囲気では各言語ガイダンスに相当するものがなくなってしまったようです。最近の学生の志が高くて必要なくなったのか、それとも。

他の二冊は日本語とはどんなものかについての本と言えますが、ヨーロッパ系の言語から考え出された文法に合わせて日本語を論じるのは無理がある、という主旨が多く、またうなずけるものでした。

いくつかの書評によれば、「教養としての」ということばからは想像できない内容であるらしい。文法の専門家の名前がほとんど出てこない、という意味で。

jisx6004さんが紹介してくださった他の本は、探すより買った方が早いかな。

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